日本で、650年前、
その教えを私なりに解釈説明を試みたい。
【時分の花】
【時節感当】
能の舞台に上がるまさにその時を逃さず自分の声を発する。
この教えはビジネスにも通じる事と思われる。
【男時・女時】
これを説明するに、
運勢、
女時は雌伏しなくてはいけないことを言っている。
人生の中では、
果報も寝て待てと言う気持ちで、
私には幾度も、臥薪嘗胆を経験した。
しかし、
私が五つの世界一を与えられたのは、
日本に帰国後は至福の毎日だ。
反して、男時は運勢、
森羅万象、全ては陰陽を繰り返す氣の働きなのだ。
順風満帆の時、
運勢、運気が循環しているだけだ。
私の師、師母と、Dr.尤老師は晩年、七、八十近くで中国を離れ、アメリカに移住した。
最晩年にもう一度、ひと仕事を終えている。
世阿弥は男時、
寶壽會 太田氣功道場
主宰 太田光信 記
武術、武道の相手を倒し殺すエネルギーは人間の病を癒し、治療するエネルギーでもあった。
倒し殺す、負のエネルギーを癒しのエネルギーに変換する触媒となるものは、心の持ち方、考え方である。
日本人の特性としての優しさ、共に生きようとする共生や、儒教の教えなど、日本文化、伝統、歴史、礼儀など凡ゆるものがミックスされて日本独特の武術武道文化が生まれた。
だからこそ、日本に於ける武術武道文化は倫理道徳の修養として、人生の道として負のエネルギーを正のエネルギーに転換する、しようとしたのである。
生きる人生の指針として、研鑽するようになった。
一部の生まれつき資質の悪いものが、武術、武道家の恥を晒しているのだ。
瞑想は脳を活性化させる。
特に右脳を活性化するのがわかっている。
右脳は芸術的創作と密接な繋がりがある。
筋力トレーニングをして、筋肉を増やすと筋肉細胞も数を増す。
その細胞の中には筋紡錘と言う神経細胞が、筋肉の収縮を司り、脳神経をダイレクトに刺激するようになる。
医学的に心身一如となることが説明出来る。
西洋のスポーツは単なる運動で、西洋人も精神修養の手段としては見なしてはいない。
今ではプロになって金儲けの手段となっている。
日本人は野球をも精神修養の手段として野球のグラウンドにお辞儀をするほどだが西洋人はそんなことはしない。
この氣功武術でも一儲けを考えた者がいるが、悪い企みはすぐバレるから、そうはうまくはいかない。
宇宙に存在する、暗黒エネルギー、暗黒物質は破壊と生成のエネルギーを相持ち、宇宙の星の生死の循環をさせながら、宇宙の拡大を続けている。
氣のエネルギーも同じように生殺与奪の力を持っている。
理想のサムライは、人を殺せる刀は抜かずに人を活かす道を歩む。
日本人であればこの日本の美学を踏襲して、弱く病んでいる者に優しい顔を向けて生成のエネルギーを駆使して、共に生きる道を探らねばならない。
一部の武に携わる者達は己の強さを誇り、他者との競争に勝とうとして無益な訓練を続ける。
この強さを求める競争心を生成のエネルギーとして転換するのだ。
強さを求めて瞑想するのではなく、生成のエネルギーを求めて瞑想する。
そうすれば、宇宙のエネルギーとつながることができる。
そもそも、我々の体内に流れる氣と宇宙のエネルギーは同じものであるのだ。
心を宇宙的な規模で生成のエネルギーに向ければ、氣は大周天として循環する。
その時点で絶対平和となり得る。
宇宙的な規模の絶対平和が訪れる。
宗教的に解釈すれば、破壊のエネルギーは悪魔のエネルギーだ。
生成のエネルギーは神のエネルギーとなる。
人の心は神から悪魔までの幅を持つ。
破壊に魅せられる者は悪魔に魅せられているのだ。
神のエネルギーに近づく瞑想、修練となるよう心掛けたい。
寶壽會 太田氣功道場
主宰 太田光信 記
五、六百年前の日本刀で、関孫六という日本刀がある。
五百年前の刀であるにも関わらず、その切れ味は誰もが、ビックリする程切れ味が鋭かったという。
あの有名な、ゾリンゲンがこの関孫六と同じ切れ味のナイフを大量生産できると言って話題になった。
西洋人が、日本の伝統の鍛刀技術を見下しもっと秀れたものを作れると思ったらしい。
科学的な解析をすれば、科学が、精神を上回ると思ったのだ。
結果から言うと、何遍トライしても、作る事はできなかった。
日本刀の製鉄鍛錬は、まず、神への祈りから始まる。
砂浜の砂から砂鉄を取り出し、玉鋼(玉はがね)を作る。
玉がねを2000度ほどの火で熱して、おおづち、小槌でトンテンカンと打っていくのだが塊の鉄を半分に折る。
また、半分に折る。
そしてまた半分。
何回半分に折るのかはわからない。
最終的に一本の刀の形になる頃には、何千枚、何万枚もの刃が一本の刀に収まっている事になる。
こうして出来上がった一振りの刀は折れず、曲がらず、錆びて、砥いでも、砥いでも、刃は減る事はない。
ゾリンゲンはこの作業に気付かなかった。
機関銃の熱くなった銃身を真っ二つに切ったという話を子供の頃に聞いた事がある。
刀で機関銃を切るなどという事は、西洋人は考えもつかなかっただろう。
戦国時代、交易のあった頃は、日本からの一番の輸出品は日本刀であった。
あのそり曲がった刀身は振り下ろすだけで、スパッと切れたのだ。
そり曲がった刀は真っ直ぐな刀より科学的な意味を持つ。
闘いの為の武具は当時の科学の粋を集めたものであった。
私は10年の修練で三百六十万回のジャンプの回数で人体の最大の筋肉、大腿四頭筋を鍛錬した。
こうして出来上がった人体は、科学では理解を超えた働きをする。
道場生は私の氣の負荷をかけられてジャンプで、同様に大腿四頭筋を鍛錬するのだ。
いつの日か、この東洋の秘密も科学的に研究解明されて、我々の前に姿を現わすだろう。
日本刀を使ったことのある者だけが分かる切れ味のように、この修練をして、筋力を手に入れた者だけが分かる世界で、その氣を駆使して、統合医療の一環として、治療に今では応用されている。
まさに温故知新である。
古いもの、古い知恵を、ないがしろにし、バカにする者はその知恵を得られない。
この他にも、さまざまな分野で現代に応用できる事はたくさん存在しているはずだ。
日本は西洋の知識、技術と東洋の智慧の吹き溜まりのような国であるから、それらの事をミックスして、あらゆる、どんな分野でも世界一と成り得るのだ。
日本の未来は、我々が、温故知新の精神を如何に生かすかという事にかかっていると言っても過言ではない。
寶壽會 太田氣功道場
主宰 太田光信 記
どんな分野、世界でも同じであろうが、訓練が足りなければ、そのままの結果となり、訓練が充分であれば安心で満足のいく結果となる。
特にこの氣功では身体と精神の両方の氣エネルギーの増大を図るので少しの氣を抜かずに修練に励まねばならない。
小練した男は今自分の団体を勝手に立ち上げて師範、創師を気取っているが、修練を死にもの狂いでした所は見た事はない。
一方、私の氣功道場の指導員は立禅の際、うめき声をあげて、大粒の汗を流して立っている。
勁、空勁もその原理を知って今は出来るようになっている。
大練して大成したのであった。
小成したものは役に立たず、いわゆるなまくら刀であり、使いモノにはならない。
真剣に何かを習う時は、全てを捨て去って、背水の陣の気持ちで背後の橋を断ち切らねばならない。
すなわち、小練すれば小成し、大練すれば大成する。
そして、修練には苦しみがつきものである。
どんな分野の芸事でも血の滲むような訓練と苦しみがある。
そのような訓練を通過して初めてものになる。
胎児が生まれる時は母子共に苦痛を味わう。
産道を通って胎児は生まれる。
苦痛を伴い、産道をくぐり抜けると光を見る事が出来る。
つまり苦の後に楽があり、その苦しみは一時の間であってスグ忘れ去ってしまう。
難産の後は赤ちゃんの顔を見れば難産の苦しみは何処かへ行ってしまう。
喜びはひとしお大きい。
小苦小楽、大苦大楽なのだ。
私も拷問のような訓練を経験したのちの現在では、苛酷な訓練を懐かしい思いで一杯だ。
大本教の出口王仁三郎聖師の歌に「艱難の後に幸せの大輪の花が咲く」がある。
たくさんの苦しみの後に幸せが訪れる。
こう悟ってしまうと拷問のような訓練も楽し苦、味わい深いものとなる。
寶壽會 太田氣功道場
主宰 太田光信 記
戦前、王薌齋老師の意拳より站樁(中国語でZhan Zhuang(ジャンジョン))と言う単語、言葉が良く使われるようになった。
動功としての站樁功、静功としての座はあったが、禅の意味と目的を伝えてみたい。
私が若い頃携わった少林寺拳法にも静功、座禅はあったが、中国の意拳のものとは全く異なる。
意拳の基礎訓練としての站樁はあまりにも有名だが、その本質を知る者は少ない。
尤氏長壽養生功の站樁はこの氣功の根幹を成す重要なものである。
その本質は地球の重力の自分の体重を下に引っ張る力に抗って自分の体重を支えて正中線を整えて、脚腰の筋力を長年かけて鍛錬する事である。
そして同時に站樁をしている間、汗がジワーっと出て身体は熱くなる。
一時間ほど站樁をしてから静功、座禅となる。
この座禅も一時間するのだが、汗が出た後なのでジッと瞑想すると身体が冷えてくるので、毛布で身体を包んで座禅をするのである。
特にサンフランシスコ近辺は朝夜は冷えるので毛布は必要であった。
少林寺拳法の座禅は十五分くらいであるので、圧倒的に短く、少ない。
この程度の動功と静功では脚力も鍛えられず、氣を感じることもなく氣を蓄えることも出来ない。
我々は本格的に訓練する場合、站椿一時間、座禅一時間するので嫌が応でも気は蓄えられて、ついには氣が体外へ出てくることになる。
そして体幹と脚力は十二分に鍛えられるのだ。
大抵の者は瞑想一時間と聞くと尻込みするが、仲間と一緒にすると意外に出来るものだ。
そして変性意識状態、神秘体験を経験する。
そうなると占めたものだ。
いわゆる、ゾーンに入るのである。
ゾーンに入ると身体は微動だにせず、一時間経っても平気なものである。
座禅も同様で、こんなことばかりして一体何になるかと半ばヤケクソになるが、そんなことで挫けてはこの氣功の効果、魅力を体験することは出来ない。
なぜ先人が、この過酷な訓練を十年、二十年、三十年と出来るかと言えば、このゾーンに入っている時こそ、楽に長い間立っていられ、身体が癒されることを経験するからだ。
私も何度もゾーンを経験したことがある。
しかし、毎回練習する度に、同じ感覚のゾーンを経験しよう、味わおうと期待すると何も起こらない。
同じことを期待してもいけないことを学んだ。
虚心坦懐に取り組む姿勢が大事なのだ。
毎回、身体と精神のバイオリズムが人間にはあるからだ。
決して楽な訓練ではないが、一旦効果があると知ってからは訓練をやめられない。
この神秘体験、ゾーンを経験した後は練習を辞めてはいけない。
昨日の自分と今日の自分が微妙に違うことが如実に分かる時が来る。
その前に辞めてしまっては元も子もない。
自分の前に立ち塞がる厚い壁を打ち破っていかなければ前進は出来ない。
自分の中の傲慢や怠惰を打ち負かしていくのだ。
こうすると、何れ心の静寂や安心があって身体の安がる時が来る。
瞑想で得られる満足感、安心感は得も言われず、カネとモノで買えるものではないことが分かって来る。
その時に神はご褒美のように健康やらチカラやら自分の欲しかったものが自然に手に入れる事が出来るのである。
宇宙のエネルギーと一体になり、新たな自分が築かれて、新たな人生を歩むことが可能になる。
何を見ても何をしても、心は自由で幸せになる。
僭越だが、今の私である。
私の経験であるから、嘘偽りではない。
本当のことである。
さあ、今日から修練に励んで貰いたい。
東洋の宝なのだ。
放っておくにはあまりにも、勿体無い。
寶壽會 太田氣功道場
主宰 太田光信 記
はるか昔にヨーロッパから宣教師ザビエルが日本に来て、イエズス会に報告書を提出して、その内容は日本人はボロを着ているが、貧しくとも、下層の人間でも礼儀正しく立ち居振舞いはヨーロッパの貴族のようである。と書いてあった。
幕末期に日本に来たヨーロッパ人は日本人は他のアジアの国々と異なり、清潔で識字率が高く、みんな字の読み書きが出来ると一様に驚いている。
個々の感性の問題であるが、日本人の生き方、感性というものは、スッキリとした空間の中のプロポーションを考えて、何もない空間や姿の中に「美」を求める禅仏教からの影響を受けて世界の中でも日本人独特の文化である。
ワビやサビと言う言葉で表現されている。
ドクター尤老師と師母は、1930年から文化大革命迄は上海では大金持ちだったので、師匠の王向斉老師を経済的に支援をした。
その際、空白の小切手を渡して好きな金額をお書き下さいと言っていたようだ。
そのように聞いている。
サンフランシスコに来てからは、清貧で簡素にご自宅の下のガレージに絨毯を敷いて、道場とされていた。
練習の際には、白湯が用意されてあり、お茶やコーヒー、アイスクリームは御法度であった。
お茶やコーヒーは肝臓に負担がかかり、アイスクリームは身体を冷やす。
どれも氣の養成には無縁のものである。
私は二十五年ほど、アメリカに居ながら、コーヒーは飲まなかった。
もっぱら白湯を飲んで、白湯にも味があることを学んだ。
私は簡素な、シンプルな生活に努めた。
大阪に道場を開いた時も、収入があっても、クルマには乗らずに自転車をいつも乗り回して強い脚力をキープしていた。
混雑時にはタクシーより早くてとても便利で駐車場も要らない。
脚の筋力トレーニングには最適だった。
今でも四輪の自転車に乗ってリハビリ代わりに毎日使っている。
贅沢なものは何もない。
他の人から見ればとても貧しく見えるが、生活そのものはシンプルで、精神的に満足している。
心が豊かなのである。
限られた収入の中で生活しても何の不自由も無い。
大病を二度もしたが、何の不安もなく、老後の不安は無く、逆に老後の楽しみが一杯ある。
幸せなのである。
何も五百年前に戻れとか、幕末期に戻れとか言ってるのではない。
現代の文明の利器を駆使して、日本人の先人の生き方に味な点があるのを発見して自分の生き方に応用しては如何?と問いかけている。
カネやモノで豊かな生活が出来ると思う者は多い。
しかし、真に豊かな生活とは精神的に豊かに生きることである。
カネやモノは少なくても、借金や他人に対して迷惑をかけない生活である。
現代に於いても、西洋の貴族に負けない礼儀作法や立ち居振舞いを目指している生活に努めたい。
寶壽會 太田氣功道場
主宰 太田光信 記
西洋式のスポーツや日本の武術全般の筋力トレーニングで培われる筋肉は筋繊維が太くなって筋骨隆隆になると思われる。
あたかも鉄骨、鉄板のように、だが面白いことに我々長寿養生功の基礎訓練で培われる筋肉は真綿のような柔らかさと鉄のような硬さがミックスしているものである。
実はココが秘中の秘なのである。
勁を用いる時は脳の神経と筋肉が直結して筋肉が鉄のようにパンパンに膨らんでそのチカラを手に伝えることによって、勁が完成する。
しかし、勁の前後には筋肉は真綿のように柔らかく、フニャフニャである。触ってもらえば、その感覚はすぐに分かる。
站椿功とジャンプによって鋼鉄のような強い筋肉を作り、座禅によって神経をリラックスさせることによって真綿のような筋肉も作るのだ。
指導者がその感覚を持つレベルまで修行して初めてこの理論を口にすることができる。
私は師母との一対一の修練によって前述の筋肉を作り上げたのでこの秘密を知ることが出来たのである。
この秘中の秘を開示することに何も怖れないし、ためらいもない。
今高齢を迎えて、私が習得した全てのものは私の指導員と道場生に残してこの日本に長壽養生功のタネを蒔いて、芽吹かせ、大木に成長させたいという一心なのである。
であるから、習うならば、今である。
今の指導員のレベルになるまでには、十年はかかる。
習うならば、今である。
十年修行すれば、今の私が言っていることが分かるようになる。
勁、空勁も使えるようになる。
習うなら、今でしょ!
寶壽會 太田氣功道場
主宰 太田光信 記